Derby week - Wednesday.

週も半ば,ダービーの話題で徐々に盛り上がり始めてきたところに,シーザリオ米国遠征のニュースが。僚馬のディアデラノビアと共に,7月3日のG1,アメリカンオークスに参戦することになったそうだ。(昨年はダンスインザムードが出走して2着)
今年は,桜花賞の1,3着馬がNHKマイルCで牡馬を蹴散らしワンツー,オークスの1,3着は海外へ…何かスゴイなぁ。もうちょっとガンバレ男のコたち(笑)
 
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「ダービーと“逃げ馬”」
今週の競馬とはあまり関係ないかもしれないが…個人的には“ダービーを逃げ切る”というのは,もう最高にカッコいいと思っている。
晴れの大一番,大観衆の視線を一手に集め,広々とした府中のターフを,一度も先頭を譲ることなくゴールまで駆け抜ける…こんなに爽快なことがあるだろうか?
 
1990年以降,ダービーを逃げ切った馬は3頭いる。
まずは,1990年のアイネスフウジン東京競馬場の入場者レコードとなる,19万を超すファンが見守るなか,3番人気に支持された彼は,パートナー中野栄治騎手の絶妙なペース配分に導かれ,2分25秒3のダービーレコード(当時)でメジロライアン,ホワイトストーンらの追撃を振り切った。人馬一体の見事なレース運びに,スタンドからはあの有名な“ナカノ・コール”が。レース映像を見ても,これはもうめちゃくちゃシビれる。これからも,後々まで語り継がれるダービーになることだろう。
 
次に,1992年のミホノブルボン。“史上最強の逃げ馬”とも称され,故・戸山為夫調教師の手で鍛えに鍛え抜かれた彼は,皐月賞まで5戦全勝,ここでも当然1番人気。一般的に逃げ馬というのは,どこか危うげで不安定なイメージがつきものだが,彼はどこまでも力強く,逞しかった。この時はまだ誰も注目していなかったライスシャワーマヤノペトリュースの壮絶な2着争いを尻目に,その4馬身前方で堂々無敗の二冠達成。前年のトウカイテイオーに続く,2年連続の快挙となった。
 
最後の逃亡者は,1997年のサニーブライアン皐月賞を11番人気で逃げ切った彼は,ここでもそれがフロック視され,6番人気に甘んじていた。誰もが「府中の2400で,アイツが逃げ切れるはずがない」と思っていた。ライバル達も「今度は差せる」と考えていたに違いない。しかし,彼はやったのだ。見方によっては,前出の2頭と比べると“カッコよさ”には少々欠けるかもしれないが…大西直宏騎手の「1番人気は要らない,1着が欲しい」という言葉は,今やすっかり名セリフである。
 
まぁ何にせよ,今年のダービーで,ディープインパクトが逃げることはないだろう(笑)…でも競馬において,逃げ馬というのは常に警戒が必要であり,とりわけスピード重視,高速決着の傾向が強まる昨今は,東京の長い直線でも“前が止まらない”ケースが頻発している。
もしも,万一,大番狂わせが起こるとしたら…その主役は,逃げ馬か,それに近い先行馬である可能性は高いのだ。
 
自分メモ:(昨日と変わらず)
→こんなコトを書きつつ,今回逃げ馬はノーマークの自分(笑)