「買う」ということ。

今日は,最近ちょっと下火になってきた(?)著作権とかファイル交換とかの話を多少蒸し返すことになると思う。
友人のBBSにつけたレスが元なのだけど…こういう話は,ちゃんと自分の責任を明確にして書くべきだと思うので,こちらで改めて。
 
自分も,アマチュアミュージシャンのハシクレとして,あるいは音楽を愛する1人のファンとして,作品をつくることに注がれるエネルギーというものへの純粋なリスペクトがある。多少なりとも“産みの苦しみ”を味わったり,あるいは挫折した経験のある人なら,それはきっと同じはず。だから,それを無造作に踏みにじるような行為は基本的に許せないし,アーティストにも,守られるべき権利があるのは当然だと思う。
問題は,今の著作権法が,一体誰の,何を守るために存在しているのかということ。理念はとうの昔に消え去り,実際には,業界の利益,既得権益を守るための法律になってしまっている。もちろん,それも守られてしかるべき範囲はあるけれど,今のそれは,特にアメリカなどでは,明らかに行き過ぎている。日本も,大きな流れとしては,同じ方向へと向かっている。
不自由を押しつけられれば,反発が現れるのは必然の理。P2Pを悪用した違法なファイル交換が問題になってきたのもその1つ。彼らにアーティストへのリスペクトがあるのかどうかは知る由もないが,そこに美味しそうなリンゴがあれば,手に取って食べてしまうのは人の性。結局ここは,もうモラルの問題ということになってしまう。まぁ,人はみな罪深き存在である。他人を断罪する前に,自分の胸にも手を当てて問わなくてはならない。CCCDには自分も大反対だったけれど,すぎやまこういち氏は「ただ反対するだけなら,誰でもできる。建設的な方法を考えなくてはいけないし,それが自分達の仕事でもある」と語っている。非常に耳の痛い話だ。ただ,自分はCCCDについては「1枚たりとも買わない」という形で抗議の意志を示したつもりだし,CCCD破りなどといった邪道にも走っていない。
 
ひとつ,率直に思うことはある。そうやってタダで手に入れたものに,果たして愛着を持てるのか,ありがたみが感じられるのか,ということだ。苦しいサイフをやりくりして,なけなしのお金で買った1枚のレコードを,擦り切れるまで何度も何度も聴き込んだり…まぁCDは擦り切れることはないけれども,気持ちは同じだろう。そういうモノの積み重ねが,その人の“肥やし”になっていくのである。
これから,音楽は本格的にネット配信の時代に突入していくことになると思うけど…ダウンロードしてきた音楽ファイルには,ジャケットも,歌詞カードもない。昔LPがCDに変わった時,ジャケットが小さくなって品がなくなったと嘆く人も少なくなかったけど,今度はもう身もフタもないわけで…ある種の“楽しみ”というのは,デジタルの利便さとともに失われていってるのかもしれない。
 
何だか,書けば書くほど取り留めのない文章になっていくけれども…ひとまず,今日はこのくらいにしておこう。
現在進行中の事象に,結論じみた書き方をするのは難しい…