素朴な疑問。

最近,家ではもうほとんど,音楽はクラシックを聴いていることが多くなった。
といっても,その9割以上がピアノ曲,もしくはピアノが絡んでる作品ばかりなので,むちゃくちゃ偏ってるんだけど。本来クラシックの神髄は,やはりオーケストラにこそあるのだろうとは思いつつ,ピアノ協奏曲には興味があっても,なぜか交響曲は聴く気にならない…まぁ,今はその時ではないんだ,と勝手に思い込んでおきます(笑)
音楽番組でも,やはりクラシックものを見ることが多くなったのだけど…今日の本題は,かねてから疑問に感じていたことを,ちょっと考えてみようかなと。まぁ所詮はシロウトなんで,あまり深くツッコまれても困るんですが…
 
その1:「なぜ正装なのか」
女性はドレスにしても,色だって結構自由だし,ある程度センスに任されてるところもあると思うのだけど…それに比べて男性のステージ衣装の堅苦しさといったら。上着着て,蝶ネクタイ締めて,汗だくになりながらピアノとか演奏してる姿を見ると,もう気の毒としか思えない。汗が鍵盤に落ちれば,指が滑ってミスタッチしないかとか,余計なことに気を遣わないといけなくなるだろうし,あんな人力サウナみたいな状況を(笑)わざわざ好き好んで作り出さなくたって…お金を払って聴きに来ている人達も,恰好がどうこうより,純粋に「良い演奏」「いい音楽」を望んでいるはずでは?
最近は若い人なんか,幾分「カジュアルな」衣装でやってるのも見かけるし,オーケストラなんかの場合は,一般的に男性の方が人数が多いから,バラバラな恰好だとビジュアル的に統一感がないとか,そういうことはあるのかなという気もするけど。
ジャズミュージシャンが正装で演奏するのは,黒人差別とか,ジャズという音楽そのものに対する差別意識への対抗心の表れ,という見方もできそうだけど,クラシックの場合はそれも当てはまらないし…
もっとも,こんなヒトもいますけど…

 
その2:「なぜ暗譜なのか」
これも正直,よく分からない。例えばピアノだと,ソロでは暗譜が通例だけど,現代曲なんかでは楽譜を見ることが多いし,室内楽や歌曲の伴奏でも同様。3分とか5分の曲を,楽譜を見て弾いても何も言われないのに,30分のソナタを暗譜で弾かなきゃいけないというのも,これまた理不尽としか思えない。
先日TVで見たのだけど,野平一郎さん(わりと好きなピアニストの1人でもある)が,ソロのリサイタルでドビュッシーの練習曲集を,楽譜を置いて演奏していた。アンコールでも,あの超有名なアラベスク第1番を,これも楽譜を置いて。この日のプログラムは他に,シューマンの「森の情景」「クライスレリアーナ」…全曲,楽譜を置いての演奏だったという。クールだな…と思った。
本来クラシックにおいて,全ての答えは,楽譜のなかにこそあるのではないか。曲を完全に憶えていても,楽譜を置いて演奏することには意味があるはず。演奏者にとって最も大切なのは,可能な限り,聴き手に最良の音楽を届けることであり,暗譜を強いることで,もしそれが妨げられるようなことがあったら…それこそ本末転倒だと思うのだが。
断っておくと,自分は譜面には強くないし,初見なんてもう全然ダメダメなので,楽譜を見ながら弾く方がラクだとは思わない。楽譜を見て弾けるというのは,素晴らしいことであり,幸せなことだと思うんですよ…
 
とりあえず,長くなったので今回はこのくらいで。
続きは…また思いついた時に♪